ヒゲを剃ってもおもんない…うすうす気づいていた40代が、脱毛にたどり着いた話

賽の河原って知ってる?
石を積んでは鬼に壊される、終わりのない供養の話。
──実はな、俺もずっとあれと同じことしててん――
そうや、毎日の髭剃りや。
毎日せっせと剃ってんのに、青髭は消えへんし、ヒリヒリだけは残るんや。
なんぼやっても報われへん努力。
毎日毎日、丁寧に剃りあげても時間が経てば伸びてくるんや。
あの話には“お地蔵さん”が現れて救ってくれるって続きがあるねん。
でもな・・・残念ながら俺のとこには、いつまでたぁってもお地蔵さんは来んかった。
せやから、俺は──
お地蔵さん。課金することにしたんやw
脱毛っていうお地蔵さんをな。
そんな俺の話、ちょっと聞いてくれへんか。
子供に満たされて自分を後回しにしがちな40代
家族が優先。
40代で家族持ちなら、そうなっていくのが普通と思わへん?
俺もそう思うねん。
40代のおとんにとって、生活の醍醐味はなんと言っても子どもの成長や。
うちにも2人おってな。
イラストレーターを目指すちょいマセた娘と、いつでもどこでもやりたい放題の息子がおる。
寝る時間、起きる時間、朝食や晩ご飯、休日のリビングもユーチューブの登録チャンネルも、 自然と子どもを中心に回り始める。
いわば、子どもに人生を征服されてるような感じや笑
「脱毛」って言葉なんて見かけても、
自分の意識にとどまることなんて無いんよな。
まぁ、思い通りにいかんことも多いわな。
だから「しゃーないしゃーない」って流してたんやと思う。
せやから、娘が描いたイラストとか、コーヒーを持った腕によじ登ってくる息子がいるだけで「まぁ今日も悪くなかったか」って納得しようとしてたかもしれへん。
もちろん、それだけでも十分やねんけどな。
40代はなにかとお金がほしくなるーだから“満足度”で見直した
40代で子持ちやと、学費の積立も気になるし、老後の心配もちらつくようになる。家計を見直すって、もう自然な流れやった。
最初は色んな出費を削っていってん。
でもそれやとしんどいし。不満が出てくるから続かんわな。
で、納得できるかどうかを基準にするようになったんや。
いるって思わされてたもんを手放す。
で、大切にしたいことにお金も時間もかけるんや。
すると収入が増えたわけじゃないのに納得する生活に変わっていってん。
「我慢して削る」やなくて、
「満足度を高めるために整える」っていう考え方。
この考え方は、自然と時間や労力の使い方にも広がっていった。
髭剃りの満足度の低さーもう辞~めた
満足度を意識するようになってから、
お金や時間、労力のかけ方が変わってん。
で、かける必要が無いって思ったんが髭剃り。
ちょっとの時間、労力やけど
満足度はめっちゃ低い、っていうか無い。
それが毎日っていうのがさらに満足度を下げとった。
「今日は剃らんとこかなぁ。」とか、いちいち考えるのも判断の無駄。
お金も時間も労力も──無限にかけれるもんやない。
大切なものを大切にするには、無駄を見つけて削っていく。
それが、ほんまに必要なことやねん。
脱毛は無駄をなくすためのひとつやった。
それが、
“脱毛やってみるのもアリちゃう”
って思うようになっていった感じや。
40代の脱毛、必要な時には自然と踏み出せる
青ひげ嫌や→脱毛する
モテたいねん→脱毛する
自分を変えたい→脱毛する
こんなどストレートな気持ちで脱毛を始めた人って、
かっちょええと思う。
でも俺の脱毛はダサいと思うでw。
脱毛するまで、子どもの話とか、
お金の話とか満足度とか・・・
我ながらマジで回りくどいわ!
でも、
40代家族持ちの脱毛ってそんな感じやと思う。
充分回り回ってくどくなって、
やっとこさ納得して踏み出す機会にめぐり合う感じ。
今まで脱毛に踏み出せなかったんは、
その時の自分には、
その選択が必要な時期じゃなかったからやねん。
今ちょっとでも脱毛が気になってるんやったら――
それは脱毛に踏み出すチャンス・・・かもしれへんな。
✋脱毛って結構お金は高いけど、40代なら少~し手を伸ばしたら届く範囲にあるねん。
一大決心した20代の脱毛と違って大げさに感じんでええねん。
脱毛って「シャープに満足度を上げる一手」にはなるかもしれへんで。
俺が脱毛を始めてからの話も気になるんやったら読んでや。
👉脱毛は、美じゃなく冒険──40代のおっさんが知らん世界に飛び込んでみた話はこちら