脱毛は、美じゃなく冒険──40代のおっさんが知らん世界に飛び込んでみた話

ヒゲ剃りが面倒とか──
きっかけはそんな実用的な理由やったけど、
振り返ってみたら、
「知らん世界に一歩踏み出した」こと自体が、いちばん心に残ってる。
脱毛って、美容の話やない。
40代のおっさんにとっては、ちょっとした冒険やったんや。
自分には無縁やと思ってた「脱毛」の世界
小学生のころ、テレビで「YES!高須」ってCMがよう流れてた。
**整形っていう世界があるんやな~**って、なんとなく思った記憶はある。
否定とかちゃうで? まぁ小学生やったってこともあるけど、
**「大人になっても俺が足を踏み入れる世界とは違うなぁ」**って感じてた。
美容って、そういうもんやった。
自分には関係ない。必要もない。関心もない。
ヒゲ脱毛も当然同じ。
一生縁がないまま終わるもんやと思ってた。
洗顔? そんなんしたこともない。
うちの親父は牛乳石鹸で体洗うついでに顔まで洗ってた。
俺はその父を見て育ってる。
保湿って言葉も、彼女(今の奥さん)が風呂上がりに水みたいなんを顔にパンパンしてるのを見て、
「これ…何かなるんか?」って、ちょっと不思議やったくらい。言われてしことはあるけどな・・・。
それに、UVケア?
夏は焼けるもんやろ、って思ってたし。
暑かったら汗をかき、日差しが強かったら黒くなる。
体の反応として普通のことで、何にも感じることはなかった。
**日焼けを止める?なんのために?**って思ってた。
そんな自分が、“脱毛”という世界に足を踏み入れた。
自分とは真逆の世界に期待が膨らんだ。
無縁のはずの脱毛。それが男の冒険心をくすぐった
別に、ツルツルになりたかったわけやないねん。
美を求めたっていう感覚もない。
ただ、「ムダな時間や手間は減らしたい」──その気持ちではじめてん。
自分の目的は、「満足度の高い暮らし」をすること。
満足のために選んだ手段が、たまたま“脱毛”やっただけの話。
脱毛っていう手段を選んだことに、ほんまはこそばさがあったで。
でも、こそばさ以上に、
「どうなるんやろ?」っていう期待の方が勝ってたんや。
今までの自分とは真逆にあると思ってた世界。
心地良く感じる世界から一歩踏み出すことは、
男の冒険心をくすぐってきたんや。
冒険心──これが俺の心を躍らせたんやと思う。
「心に火がついたことに気付く」
──40を過ぎたおっさんやけど、
また一つ、自分の好きな部分を見つけるきっかけになった。
「やったった感」は、自分で選び取ったからこそ湧いてくる
脱毛を始めたとき、誰にも相談せんかった。
というか、相談する相手もおらんかったんよな。
まわりに“美容男子”も“脱毛仲間”もいてへんし、
そもそもこの歳で「脱毛してみようと思ってんねん」なんて、気軽に話せるもんでもなかった。
せやから俺は、自分で調べて、自分で選んで、自分で予約した。
コースも自分で決めた。
脱毛のために計画的にお金も貯めた。
家族に「脱毛するわ」なんて改まって説明もしてへん。
全部、俺の中だけで完結させた。
でもな、全部が順調やったわけやないねん。
正直、脱毛って**調べ出したらクセあるな…**って思た。
ネットやSNSで「ここが一番ええで!」って情報見かけるけど、
いざ調べてみると、他のクリニックとの違いが見えてこんかったり…。
12回で20万円近くかかるクリニックもあれば、
1回100円っていうところもある。
高級外車とママチャリを比べてるみたいやった。
前に進むしハンドルもブレーキも付いてるけど全く別もん。
それを見せられてるんちゃうかなって思ったわ。
ほんまに、相場感がつかまれへん。
で、脱毛機の説明なんて全く意味が分からん。
毛質や肌質によって個人差があり効果の実感は異なりますが、
実績があり、効果を実感しやすいといわれている脱毛機で、
高い効果を期待することもきます。
何?効果あるん?ないん?どっち?
いや~、国語の先生やったら意味わかるんかなぁ?
“ちゃんと調べよう”と思えば思うほど、情報に振り回される感じで、
なかなかスッと決められへんかった。
しっかり選ぼうと思えば思うほど、
俺みたいにしんどくなる人、多いんちゃうかなって思う。
「分からんなぁ?」って思いながら、険しい顔をしながらスマホで検索し直して――
でも、そうやって悩んだからこそ、最後に決めた選択には自信が持てたんやと思う。
──あぁ、これが「自分の人生を自分で設計する」ってことなんかもしれへん。
ちょっとオーバーに聞こえるかもしれんけど、
「自分でやってる」って感覚は、やっぱり気持ちええんよ。
誘われたから始めたわけちゃう。
なんかの流れでやったわけでもない。
“俺が俺のために決めたこと”。
これって、想像以上に誇らしいことやった。
“脱毛”って言葉にまだちょっびっと照れもあるけど──
飛び込んでみたことで、
「やったった感」と、ちょっとした自信が生まれたんよな。
踏み出した今だから思う。「何かに挑戦しなかった人生」はきっと、後からじわじわ後悔してた
もし、脱毛せんかったとしても──
たぶん、“そこそこ”に満足した日々を過ごしてたと思う。
仕事して、家族と過ごして、たまにうまいもん食べて。
それなりに笑えて、たまに疲れて、それでもまた朝は来る。
たぶん、そんな日々やったと思う。
でもな、ある時ふと思う気がするんよ。
「俺、なんか“もっとできた”んちゃうかな?」って。
ヒゲ脱毛を始めたとき、最初のきっかけは小さなもんやった。
でも、その一歩が──
**「知らん世界にも、自分で飛び込めるんや」**っていう気づきをくれた。
脱毛がゴールなんやない。
ほんまの収穫は、
**「挑戦してええんや、自分は動けるんや」**って、
**行動した自分を信じられるようになったことやった。
そして今──
「これからも、なんか新しいことやってみてもええんちゃうか」
そう思える自分が、ちゃんとここにおる。
- 挑戦したことで得られた達成感
- 知らなかった自分を知った喜び
- “動いた未来”を手に入れた安心感
──そんな感情を、たった一歩の中で得られたこと。
それが、俺にとっての“脱毛”やった。
🧔♂️脱毛してわかったのは、
「挑戦した自分」がちょっと誇らしかったってこと。
せやけど──
意外やったのは、だ~れも気づかへんことやねん。
明らかに変わってるはずやで。
それやのに、変化に敏感な女子ですらスルー。
でもな、40過ぎのおっさんにはそれがたまらんねん。
「 みんなは知らんけど俺だけ知ってる」みたいなことwww
次はそんな**「自分だけの嬉しさ」**について、もうちょい話してみるわ。
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